Amazonプライムで観れる「有田と週刊プロレスと」の#003
2012年レインメーカーショック編を視聴しました。
新日本プロレスを企業として見た場合の戦略を語った回です。
レスラー’sカンパニーから株式会社ユークスへ会社を売却。
その後、ブシロード体制になるまでの歴史と看板レスラーの変化を語っていました。
会社が変われば経営戦略も変わる。
当たり前の事ですが、新日本プロレスを例に学ぶことで深く理解できます。
社会派バラエティーですね。
会社の移り変わり
1972年。
アントニオ猪木さんによって設立された新日本プロレス。
社長 アントニオ猪木
副社長 坂口征二
という現役レスラーが経営する企業でした。
1989年には坂口さんが社長に就任。
1999年に藤波選手に社長が引き継がれます。
2004年に初めてプロレスラー以外の経営トップが誕生。
法律と会計が専門の草間社長が誕生します。
それまで「どんぶり勘定」だったお金の管理をきちんとして、会社の経営を立て直したそうです。
そして2005年。
アントニオ猪木さんが保有していた新日本プロレスの株式の51.5%をユークスが取得。
「新日本プロレス=レスラー’sカンパニー」から「きっちりとした会社」へと変化しました。
この変化は大きく、棚橋選手や真壁選手が「普通の会社みたいになった」とインタビューでコメントしてたのを見たことがあります。
この時代の主役は棚橋選手、中邑選手。
この2人を中心に天山選手、永田選手、真壁選手らがサポートする形です。
ただ、観客動員数の推移を見ると2006年~2008年に減少。
2005年の水準まで戻るのは2011年です。
いわゆる「新日本プロレス、冬の時代」
棚橋選手の「愛してま~す!」と「エアギター」が浸透するまでの充電期間でしょうか?
それまでは年に複数回行っていたドーム大会も、1.4のみの開催となります。
2012年 1.31。
ユークスが保有していた株式をブシロードが取得。
現在のブシロード体制がスタートです。
レインメーカーショック
2012年の東京ドーム大会で凱旋試合をしたオカダ選手。
この日のメインイベント終了後にチャンピオンの棚橋選手へ挑戦表明。
オカダ選手へのブーイング、帰れコールが凄まじかったです。
棚橋選手がIWGPヘビー級の防衛記録を塗り替えた直後に、ヤングライオンを卒業したばかりのオカダ選手が現れたらこうなりますよね。
レインメーカーポーズを決めるも、完全にすべっていました。
それを実力で黙らせたのが 2.12 大阪。
レインメーカーショックです。
個人的な感想を書かせてもらうと「外道選手のおしゃべり頼み」「まだまだ棚橋には及ばない」
と、完全にノーマークでした。
おそらくほとんどの人が同じ意見。
「オカダが勝てるわけない」
これをラリアット1発で変えたオカダ選手。
日本のマット界に衝撃が走った日です。
この試合を見返してみたんですが、棚橋選手の首を集中的に攻めています。
今では見られない複合関節技(ジャベ)も使っていました。
試合を決定づける、場外でのツームストンパイルドライバー。
マジでヤバい技です。
来週の月曜日。
IWGP世界ヘビー級決定戦が行われます。
場所は大阪。
オカダ選手が取りそうですね。
そんな感じで。
でわ!