有田と週刊プロレスと#25「平成維震軍の結成秘話!」を見ました。
平成維震軍とは、1991年に新日本プロレスと誠心会館の抗争から生まれたユニット。
プロレス×空手=平成維震軍です!
平成維震軍についてはまったく知らなかったので(越中さんがリーダーってことくらい)今回調べてみました。
熱い漢たちの物語です!
新日本プロレスvs誠心会館
90年代初めの新日本プロレスには誠心会館という空手道場の館長、青柳 政司選手が参戦していました。
青柳選手の付き人を務めていた門下生の一人が、新日本プロレスの控室で失礼な態度をとったことで新日本プロレスの小林選手が注意。
その際に門下生は怪我をしてしまったんだそうです。
怪我を負わされた誠心会館側は新日本プロレスに抗議。
3日後に小林選手を会場の駐車場で襲撃してしまいます。
この事件がきっかけで新日本プロレスvs誠心会館という抗争に発展。
新日本プロレスは小林選手・越中選手・小原選手が出陣。
誠心会館は青柳館長・齋藤 彰俊選手が迎え撃ちます。
この抗争のクライマックスは、小林選手の進退届と誠心会館道場の看板をかけた試合にまで発展しました。
小林選手と斎藤選手の試合は小林選手の勝利。
越中選手と青柳館長の試合も越中選手が勝利し、新日本プロレス側に軍配が上がります。
反選手会同盟結成!
新日本プロレスと誠心会館の抗争が終わり、両者は和解をしました。
当時の観客からも試合内容が好評だったことから、誠心会館の自主興行に小林選手と越中選手が参加。
この行為に新日本プロレス側からクレームが入ります。
新日本プロレスの選手会長だった越中選手と副会長の小林選手が、団体の許可なく他団体の興行に参加したということで、無期限出場停止処分を下されました。
この処分に納得のいかない2人と、団体側との仲介に入った木村健吾選手。
誠心会館の青柳選手・齋藤選手も合流し、反選手会同盟が結成されます!
少し前にそれぞれの団体を背負って戦っていた男たちが、ひとつにまとまった瞬間です。
平成維震軍結成!
反選手会同盟を結成後、体調不良で小林選手が長期欠場。
小林選手の穴を埋める形で、ザ・グレート・カブキ選手が合流します。
リーダーの越中選手は若手時代にカブキ選手から指導を受けていました。
自分を育ててくれた先輩が自分の下につくことに対し、越中選手はかなり不安があったとインタビューで答えています。
ただ、カブキ選手と越中選手の関係が良好で、カブキ選手はリーダーの越中選手をしっかりサポートしたんだそうです!
その後、小原道由選手・後藤達俊選手が加入。
ユニットの名前を平成維震軍とします!
新日本プロレス本隊との抗争や天龍選手のいるWARに外敵として参戦。
選手会というくくりに属していないメリットを生かし、平成維震軍単独の興行も行います。
現在でいうところの「タカタイチマニア」のような感じなんですかね。
ロス・インゴが自主興行をしたらめっちゃ盛り上がりそうです。
おわりに
初めて平成維震軍をしっかり見ました。
越中選手は現在もフリーで、齋藤選手はNOAHでファンキーに活躍しています。
齋藤選手がもともと空手家だったことに驚きました!
そんな感じで。
でわ!