有田と週刊プロレスと#24。
「三沢光晴選手と天龍源一郎選手がNOAHのリングで15年ぶりに再会する」という回を見ました。
この2人の歴史を紐解くとルーツは全日本プロレスです。
天龍選手は力士を経て1977年に全日本プロレスでデビュー。
80年代は長州選手やジャンボ鶴田選手と激闘を繰り広げますが、1990年にSWSに移籍。
全日本プロレスを離れてしまいます。
対する三沢選手は1981年に全日本プロレスに入門。
海外修行を経て2代目タイガーマスクとして凱旋帰国しました。
80年代はタイガーマスクとしてジュニア・ヘビーで活躍。
90年に天龍選手が全日本プロレスを退団すると、マスクを脱ぎ三沢光晴として「ポスト天龍」に名乗りを上げました。
その後は川田選手・田上選手・小橋選手と共に四天王プロレスでファンを盛り上げます。
1999年にジャイアント馬場選手が他界。
馬場夫人の元子さんとプロレスの方向性で意見が分かれた三沢選手は、新団体NOAHを旗揚げします。
2005年に三沢選手が作ったNOAHのリングで、お世話になった天龍選手と15年ぶりに向かい合う。
エモいストーリーです!
全日本プロレス時代の三沢と天龍
番組では三沢選手と天龍選手の全日本プロレス時代の交流についてはあまり触れていませんでした。
今回はこの部分を深堀していきます。
80年代の全日本プロレスで三沢選手と天龍選手はともに活躍しています。
しかし、リングの中ではあまり関わっていません。
これは天龍選手がヘビー級、三沢選手はジュニアヘビー級を主戦場としていたからです。
天龍選手は83年に鶴田選手とタッグを結成。
「鶴龍コンビ」としてプロレス大賞最優秀タッグを受賞します。
84年には新日本プロレスから長州選手らが全日本プロレスに参戦。
長州選手との熱い試合に明け暮れます。
長州選手らが新日本プロレスに移籍した後は「天龍同盟」を結成。
天龍選手のもとには三沢選手ではなく、三沢選手の一つ後輩の川田選手が構成員として入ります。
一方の三沢選手は84年に越中選手と共にメキシコ遠征に旅立ちます。
しかし数か月後に馬場選手から「コーナーポストに飛び乗れるか?」と聞かれ「はい」と答えるとたちまち日本に帰国。
2代目タイガーマスクとしてスター街道をひた走ります。
その後87年にタイガーマスク選手はヘビー級に転向。
タイガーマスクvs天龍源一郎という試合が組まれています。
この時タイガーマスク選手は場外にいる天龍選手にむかって、コーナートップからプランチャを敢行。
勢い余って観客席に突っ込んでいました!
リングの中ではあまり接点がないように見えますが、プライベートでは2人は仲が良かったそうです。
飲み仲間としての三沢と天龍
親分肌の三沢選手ですが、三沢選手の親分は天龍選手だったそうです。
85年頃から、タイガーマスク時代の三沢選手をお酒の席に誘うようになった天龍選手。
年齢的には12歳と一回り離れていましたが、年の離れた兄弟のような関係でした。
連日連夜飲み明かし、三沢選手が結婚してからも飲み会のペースは変わらなかったそうです。
天龍選手はインタビューで「今こそ奥さんに謝りたい。結婚したてなのに朝まで引っ張って飲んで申し訳なかった。」と語っています。
天龍親分の飲み会のスケジュールは「夜8時から朝の5時まで飲み明かす」というハードなもの。
プロレスラーの凄さが伺えます。
その後は天龍選手が全日本プロレスを離れた後に1度。三沢選手がNOAHを旗揚げした後に1度だけ飲みに行っただけで、90年代に入ってからは2人の間には空白の時間が流れていました。
三沢光晴vs天龍源一郎
そんな2人が2005年に再びリングで向き合います。
三沢選手が43歳。天龍選手は55歳。
三沢光晴vs天龍源一郎としては初めてのシングルマッチを迎えます。
序盤は静かに進みますが、天龍選手が三沢選手の顔面を蹴ったことで試合が一気にヒートアップ。
三沢選手のエルボー連打から、場外の天龍選手に向かってエルボー・スイシーダ。
一気に会場が盛り上がります!
三沢選手のエルボー、天龍選手の喉元に刺さるチョップと顔面へのナックル。
試合を決めた三沢選手のランニングエルボー。
素晴らしい攻防でした!
試合後のインタビューで天龍選手に対し「いつまでも元気にやってください」とコメントした三沢選手。
2人の関係を表すような言葉です。
そんな感じで。
でわ!
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