「有田と週刊プロレスと」の安生洋二編を見ました。
当時最強と謳われていた「UWFインターナショナル」と、アメリカのUFCという大会で無双していたホイス・グレイシー選手。
UFCで優勝したホイス・グレイシー選手が
「俺の兄貴はもっと強いよ」
と発言し、ファンの注目を浴びたのがヒクソン・グレイシー選手です。
プロレスファンの中での最強は高田延彦選手。
「もしかして最強なんじゃないか?」とうわさされるヒクソン・グレイシー選手。
「どっちが強いんだ!!」
とファンが煽りに煽ったことで、安生選手がヒクソン・グレイシー道場に行き、ボコボコにされたという事件です。
感想を書いていきます。
安生は道場破りに行ったのか?
色々調べた結果、安生選手は道場破りに行ったと言われていますが、真相は違いました。
当時、高田延彦選手とヒクソン・グレイシー選手の試合交渉を行うも、交渉はうまくいっていませんでした。
ヒクソン側は
「俺と戦いたいなら道場破りに来い。来るならいつでもやってやる」
と、マスコミを通じてコメント。
こんなコメントをするくらいなので、高田選手側が道場破りに来た時の準備は整っているはずです。
それに対し、アメリカに行った時の安生選手のコンディションはよくありませんでした。
飛行機で渡米し、そのまま道場へ直行。
飛行機の中でお酒も飲んでいました。
準備万端のヒクソンvs酔っぱらいの安生
そりゃボコボコになりますよ。
ただ、安生選手の渡米目的は「交渉」だったと言われています。
純粋に話し合うために道場に行ったら、殺気立っているヒクソン選手がいる。
道場破りに日本からヒットマンが来たとヒクソン選手は思っていますからね。
そんな状態で引くに引けなかった安生選手も災難です。
コミュニケーション不足が原因
この事件は1994年に起きました。
2021年現在でしたら「ZOOM」や「チャット」でどこにいても連絡が取れます。
Google翻訳の精度も高いので、海外選手との交渉も楽に行えるでしょう。
ただ、1994年は交渉する手段が限られていました。
時間もかかるし、意思疎通もしずらい。
結果、話し合いをしようとした安生選手と道場破りを蹴散らすヒクソン選手といういびつな試合が行われてしまいました。
ヒクソン選手側は、安生選手を「高田選手」と勘違いしていたとも言われています。
この安生選手の渡米がきっかけで「ヒクソン最強説」が現実味をまし、高田延彦vsヒクソン・グレイシーにつながります。
プロレスの歴史の中でも大きな事件でした。
この話を資料も用意せずに語りまくる有田先生とケンドーコバヤシさんは凄かったです(笑)
そんな感じで。
でわ!